将来を何も考えていなかったが海外へ
アメリカ留学、18歳で単身アメリカへ
高校卒業後、アメリカ留学を決意し単身シアトルへ。
高校3年の頃、特に何がしたかった訳でもなく、英語の成績は悪い方ではなかったし、友人が留学を決めていたのでなんとなくそれもありかなぁ~って感じすかね。
アメリカの大学なんて、まだこの時点では考えていませんでした。
親の後押しもあったのでとりあえず英語学校へ行ってみよう!!と留学ジャーナルを買いワクワクしながら行きたい場所を選んでいたことを覚えています。
フロリダにしようかなー、ニューヨーク、LA、都会、海、山 ん~
悩んだ末、帰りたくなったら直ぐに帰れるシアトルに決定しました。
願書を取り寄せ、入学許可書も届き1986年5月 伊丹空港から一路ワシントン州シアトルへ。
シアトルタコマ国際空港へ到着したものの
約8時間後、シアトルタコマ国際空港へ到着。荷物を確保し、いざダウンタウンシアトルへ!
問題発生!!! 空港からどうやって英語学校のあるシアトル大学まで行けば良いのか一応下調べはしてきたものの、いざ現地に来てみると...右も左も分からない!!!
異国の地で不安倍増...内心プチパニック
留学ジャーナルには、留学斡旋会社に依頼すればスムーズにことが運ぶように願書取り寄せから手続きや空港から英語学校がある場所までリムジンで連れていってくれるらしかったのですが、ここは将来のことも考えて人に頼らず自分の力でやらねばと思い、すべて一人でやることになりました。余計なお金は使いたくなかったしね。
空港から一歩も外に出られないまま、ふと看板に目をやるとインフォーメーションと日本語で書いてあるではありませんか!!!
ラッキー!!!ついているのかも??
日本語が話せるおばさんに、ダウンタウンシアトル行きのバスに乗り、ダウンタウンでシアトル大学行きのバスに乗り換えれば大丈夫ですよ。歩いても20分ぐらいだから近いですよ。と言われても~
当時の私にとってはハードルが高すぎます!!!
しばらく目的地までの手順をイメージしていました。
ヨッシャ! 意を決してバスに乗り込み、運転手にバス停の名前を紙に書いて見せ、運転手のそばに立ったまま10分、丘を越え高層ビルが薄っすら見えはじめました。やがて写真で見たスペースニードルが私を出迎えてくれているかのように高くそびえ立っていました。
ダウンタウンに到着しバス停で降りるまでは良かったのですが、近くにシアトル大学行きのバス停が見当たりません。
さぁ~どうする? 歩くか?
しかし、もらった地図でその方向をみると...
坂!!! しかも果てしなく長い坂!!!
スーツケースとカバン持ってこの坂は絶対無理!!!
地図ではその先に大学があるはずなのに、見えない!
しばらく途方に暮れ、ガラガラスーツケースを引きずっていると道の向こうにイエローキャブ、つまりタクシーがずらり
なるほど、ここはホテル。映画で見たことある!!!
先頭のタクシーを捕まえて、シアトルユニバーシティープリーズ、一気に坂を上り切り停車 え!? タクで3分?
坂を上り切ってすぐ下り始めたところに大学かよ~ そら見えへんわ!
こうして無事、シアトル大学に到着することができました。